三谷晶子

作家、ILAND identityプロデューサー。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)『腹黒い11人の女』(yours-store)。Webにて閲覧可能な短編小説『こうげ帖』。『未来住まい方会議 by YADOKARI』にて島暮らしコラム『女子的リアル離島暮らし』連載中。

記事一覧(31)

noteとカクヨムで『物語という名のライフストーリー』を書き始めました。

noteとカクヨムで、日記小説エッセイコラム(勝手にジャンル作った)『物語という名のライフストーリー』を書き始めました。noteはこちら→https://note.mu/akikomitaniカクヨムはこちら→https://kakuyomu.jp/users/akikomitani/worksnoteは閲覧用に登録はしていたけれど、書いたことはなくて。先日、Twitterで人生の二大影響を受けた小説『アムリタ』を20年ぶりに再読して、友人と感想を言い合っていたら書きたくなったんです。急に。書きためていた原稿は無数にあり、けれど、それを今出すなら全部書き直したくて、けれど、ふと思ったの。出しっぱなし、投げっぱなしでいいじゃない、と。私自身もどうなるかわからないまま、続けていこうと思います。カクヨムにも同内容を投稿しています。カクヨムは小説投稿サイトなだけあって、文字のフォーマットが私の文章にはnoteよりしっくりくるかな。横書きで行間がnoteは大きいので、紙媒体育ちの私にはもうちょっと詰めたくなったりする。noteの文章でも写真でも音楽でもOKな軽やかな感じと、カクヨムの文章、とりわけ小説に特化したフォーマット、どちらも体験したいので、しばらく両方に投稿すると思います。noteのほうではクリエイターサポートボタンで投げ銭ができます。お気に召したらぜひ。

海辺の生と死。『未来住まい方会議』と『幸せな死に方』について(後編)

さて、YADOKARIが発行する思想系ポケットカルチャー誌月極本2『幸せな死に方』について。この「幸せな死に方」というテーマを聞いた時、創刊2号目から攻めるなー! と思いました。でも、同時にすごくタイムリーだな、とも。私は加計呂麻島に来る前の年、2012年に祖母を亡くしたのですが、そこからずっと人が老いて死に、残されたものについてを考えていて。その一連の出来事がようやくこの春に終わったのです。そのいろいろがある間、もちろん辛い気持ちにもなったんだけど、これは祖母が老いて死に、残された者たちがさまざまな感情や気持ちを味わい、大きなものに気づく学びだったんじゃないかとようやく思えて。そう思えた時に、この月極本2『幸せな死に方』が届いたのです。冒頭には谷川俊太郎の詩「誰にもせかされずに」が収録されています。これを読んで、去年の5月に書いた自分のブログ「父からのメール。「iPhoneから送信」と『生きているということ』」http://ameblo.jp/akikomitani/entry-12024283750.htmlを思い出しました。このブログは昨年父が奄美を訪れた時のことを書いたもの。「お父さん、足腰が悪くなってから、もう動けなくなってから『島を巡る旅をしたかった』って言われても、私は何もできないんだよ。『連れていく』ことはできても『お父さんが自分で体験する』ことは私はできないんだよ」それから、一呼吸置いて私はこう言いました。「私は後悔したくないし、お父さんにも後悔して欲しくない」そんな話をしたあとにすごいタイミングで谷川俊太郎の『生きる』を中学生が集落放送で朗読する声が聞こえてきて。「お父さん、生きているということだよ!」海辺のデッキでお風呂上りにビールを飲みながら、私は熱弁しました。するよね、そりゃ熱弁も。と、当時の私に他人事のように思います。『月極本2 幸せな死に方』では、冒頭の「誰にも急かされずに」から始まり、未来の住職塾長の松本紹圭さんのスペシャル説法『「幸せ」を先送りにしていませんか?』が始まり、Webサイト『未来住まい方会議 by YADOKARI』で紹介してきたタイニーハウス、モバイルハウスの事例を特集テーマに合わせて再編集した『「終のすみか」にしたい世界の小さな住宅案内』に続き、ムーミンの産みの親、トーベ・ヤンソンの暮らしに迫る特集に続きます。私が無知だったんですが、トーベ・ヤンソンって女性だったのね!そして、1964年から30年ほどフィンランドの孤島「クルーブ・ハル」で毎年夏を過ごしていたそう。島暮らしで猫も一緒だった、というところにも親近感。記事内で紹介されている島での生活を記録した映画『ハル、孤独の島』も見てみたくなりました。この月極本は彼らが提唱してきたミニマルライフについての一つの答えが出ている本だと思います。前編の「ミニマルライフは人間の欲求に反しているのではないか」という問いは、「人間の欲求とはそもそも何なのか」というところから始めなきゃいけなくて、欲求を突き詰めると「でも、みんな死ぬしね」というところに行きつくと思うのです。拡大や発展の欲望は、死ぬことを見ないようにできる部分があって、でも見ないように生きるのってなんでもやっぱり気持ち悪い。見ないようにすると、本当に生きているって感じがしない。ミニマルライフの思想って,ちまたで言う断捨離や解毒といったような「減らしているようで実は手放してはいない、減らすことによって何かを得ようとしている」欲望ではなく、実は「本質って何?」という問いかけをライフスタイルに落とし込んだものだと私は思っていて。その問いかけをすると、「生きるって何?」「死ぬって何?」ってところに当然行きつきます。今回の『未来住まい方会議』のほうは「生きるって何?」を問いかけた本で、『幸せな死に方』は「死ぬって何?」を問いかけた本だと私は思っています。私もこの数年間、祖母の死をきっかけにして自分に問いかけたのは結局この二つだった、と最近気付きまして。すごくハードだったけど、先ほど引用したブログ「父からのメール。「iPhoneから送信」と『生きているということ』」に書いたように、父に対して「いつか死ぬことと今を生きること」を話せたのも、今加計呂麻島に住みつつ各地でそれぞれに不思議なご縁があるのも、文章を書くことを見つめなおせたのも、私は祖母の老いと死と、それによって残された者たちのさまざまな感情の交錯を経て「生きるって何?」ということを、問いかけられたからだと思います。最近、死ぬことと生きることはひとつだな、と思うようになって。私は今、見たいものを見るために地上にいる、という感覚なんですよ。そう思うとこの世のすべては自由以外の何物でもない、という気持ちになります。『未来住まい方会議』のあとがきで、さわださんは「10代の頃から自由を求め続けていた」と書いていて、『幸せな死に方』では、ウエスギさんが座談会で「今YADOKARIを頑張っている理由も全て愛してほしい、つながってほしいというところに行き着くのかもしれない」と言っていたけど、実は生と死について考えるとすべては自由で繋がっているということに気づく。そう、私達はすべて自由で、繋がっている。そして、その上で、冒険をしている。胸のときめくような、選択を経て。そんな風に思い至る2冊でした。ちなみに、その後、元副編集長のスズキガクくんが奄美に遊びに来てくれてこの2冊のことを話したんだけど、「ていうか、この2冊すごくない? 私、すご過ぎて嫉妬したよ!」「本当、僕もです。関われなくて悔しいくらいですよ!」と、語り合っちゃったくらいいい本です。まじで。「悔しいって思えるぐらい、いいもの作ってる人たちと関われてよかったよね」そう、それも胸ときめくような選択と、自由と無限の繋がりなのです。

海辺の生と死。『未来住まい方会議』と『幸せな死に方』について(前編)

コラムを連載させていただいているWebマガジン『未来住まい方会議』を運営しているYADOKARIさんからご恵投いただいた『未来住まい方会議』と月極本2『幸せな死に方』2冊について。写真はうちの目の前の浜で、加計呂麻島生まれの島尾ミホさんの幼少時のエッセイ『海辺の生と死』とともに。『未来住まい方会議』はこちら→http://3rinsha.co.jp/mirasuma/月極本2『幸せな死に方』はこちら→http://yadokari.net/tsukigime-books/43950/『未来住まい方会議』は2ヶ月ほど前に拝読したんだけど、なかなかレビューが書けなくて。そうしたらその後、月極本2『幸せな死に方』が届いて、その理由が何となくわかった気がしました。『未来住まい方会議』は、今まであまりYADOKARIを始めるまでのことを語ってこなかった2人が自分たちのことを話している本。YADOKARIが始まるまでのあれこれから、共同代表の一人、ウエスギさんの大学時代の治験にまで手を出してメイクマネー→虚しさ→禅寺へ行く話とか、さわださんの野球少年→挫折→ミュージシャンを目指す→挫折→廃人同然→再度上京など、少年時代から現在にかけての話まで盛り込まれている本です。YADOKARIの運営する『未来住まい方会議』で連載をするようになってから、知人に「彼らは一体どういう人たちなの?」と聞かれることが多くて。「東日本大震災を機に自分の暮らし方を考え始めて、最初はファミレスでいろいろ話してたところから、自分の仕事をしつつFacebookで毎日世界のタイニーハウスやモバイルハウスの事例を投稿してたのが始まりみたいよ」全部本当なんだけど、多分、全然わかんない。私のざっくりした説明もいけなかったのかもしれませんが、でも、このざっくりした感じもある種の本当。なんて思いつつ、私も「YADOKARIのこれまでがいつかまとまった形で見たいな」と思っていたわけです。『未来住まい方会議』はその彼らの今までの冒険譚が書かれている本だと思います。ライフスタイルについて語るって、今までの自分たちがどういう暮らしをしてきたかを語ることでリアリティが増すと思うんですよ。この本の中の、リノベーション住宅推進協議会が主催する「リノベーションアイデアコンペ」に参加したとき、「君たちのアイデアはただの概念でしかない。ただの夢を描いた一枚だ」と言われてからの話で印象に残った一節を引用します。そう、今はまだ夢でしかない。ちょっと話は逸れるけど、夢について思うことがある。「最近の若者は夢がない」と言われたりする。でも、反論するわけではないけれど、かつては、自分であえて夢をもたなくても、社会が夢を見せてくれた時代があった。経済は好調で、給料は上がっていく時代だったから、真剣に仕事さえしていれば、いまはアパート暮らしでも双六のコマが進むように、いつかは一戸建てに住める。それはほとんど既定路線だった。夢のマイホームなんて言葉があったらしいが、限りなく現実に近い「夢」だった。こういうことを言うのは、上の世代が恨めしいわけじゃなくて、ちょっと羨ましいからだ。だって、この時代、誰が夢を見せてくれる?拡大や発展方向に夢を見られない世代論は、ここ最近、よく聞かれるものではあります。けれど、だからこそ、こうして彼ら自身のライフストーリーが書かれ、等身大の言葉で綴られることによって、それがよりリアルに、共感を呼ぶものになっていると思います。先日、東京に行った時に、永年のお付き合いの紙媒体でバリバリやっている編集者さんとお会いした時、こうおっしゃってくれて。「君の連載で『未来住まい方会議』を知ってさ。俺、すごい好きなんだよ。紹介される事例を毎日見てる」編集者の方は50代半ば。私が20代の頃、憧れていた雑誌でお仕事をする機会を頂いた方です。私は、その方がそう言ってくれたのがとても嬉しかった。その編集者の方は年代としては、拡大や発展方向に進んでいた時代を過ごしてきた方です。けれど、今はまた違うものの捉え方や見せ方があるということを同じ感覚で捉えてくれているんだな、と思ったから。この『未来住まい方会議』でも書いてあるんですが、サザビーリーグが主催する「Lien PRPJECT」でYADOKARIの二人が出したプランに審査員の方から「そもそもミニマルライフは人間の欲求に反しているのではないか」という意見があったそうで。それに対して彼らはこう答えます。「『人間の欲求』といっても、世代によって全然欲するものが違うんです。もちろん、ぼくらはお金や物なしで生きていくことはできない。でも、それは最上位の欲求ではなくて、ぼくらは、自分と同じ価値観で集まれるコミュニティを何より欲しているんです」そう、実はこの話は、月極本2「幸せな死に方」にもつながるものだと思うんだよね。2冊の話を1記事にまとめようと思ったんですが、長くなったので、月極本については次回に。

腸内細菌と十牛図の話。HANDCARCHIEF BOOKSについて。

葉山にある先日創刊したHANDCARCHIEF BOOKSさんの本、『僕が買っていた牛はどこへ行った?』、『大切なことはすべて腸内細菌から学んできた』を拝読しました。こちらも先日紹介したYADOKARIの『月極本』と同様、自費出版の本。編集部は先日、関東に行ったときに友人と貸し切りでパーティをした葉山のアトリエ、CONER BY SHORT FINGERにあります。こちらの本は昨年の12月25日、ちょうど福岡へ数日旅行に行く前に届きまして。せっかくだから、旅先で読もうと荷物に入れて、飛行機の中や移動中に読みました。ハンカチーフブックスという名前のとおり、軽くて邪魔にならない手触りです。布張りや革張りの重厚な本も、もちろん大好きなんだけど、最近、物質として手に取るのは軽い本が多い。そして、誰かに貸したくなる、あげたくなる本が多い。先日の記事でも書いたけれど、電子書籍は「物質として触れない」ということのほかに、人にあげたり、貸したりできないところもネックだな、と思っていて。かといって、既存の本だと何だか「人に貸す」「あげる」ことがいまいちフィットしないんですよね。感覚的に。たぶん、「売る」「得る」概念で作っている本が多いからだと思う。もちろん、収益を得ないと出版社は存続できないので仕方がないのですが、果たして「売る」「得る」ことは「本」の絶対的な目標なのか? とわたしは結構疑問に思っていて。(そのへん、『Rhythm』で始めた新連載『島の、リズム』でもちらりと書きました)「はいはい、こういうのが売れるんでしょ」で作られた本は作るほうも摩耗するし、読んでくれる人を信じてないってことだし、書き手としては信じられない相手に向かって書くのはもう摩耗というか消耗だし、というところもあり、ぶっちゃけ、わたしもここ数年、疲れ切っていたんです。だから、最近、自費出版やクラウドファウンディングで資金を集めて本を出す人が周囲に多くいて、それが何だか軽やかで楽しそうで嬉しくなるのかもしれません。さて、この2冊『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』と『大切なことはすべて腸内細菌から学んできた』について。『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』は禅の悟りに至る道のりを10枚の絵で現した十牛図についてのお話。禅僧の方とサイエンスライターの方の対談を本に起こしたものです。「宇宙全体が生きている」という仏教の見方をわかりやすく語るお二人は、仏教と科学両面から同じことを言っていて、それがとても楽しそうでした。大人が読むのはもちろん、中学生、高校生にもぜひ読んでほしいな、と思う本です。『大切なことはすべて腸内細菌から学んできた』は人生を腸内細菌の研究に捧げてきた研究者、光岡知足さんの著作。腸を小宇宙ととらえてヒトと菌の関わりを解き明かしていくこの本は、ミクロからマクロへ視点がいく。ちょうどこの本を読んでいるとき、最近お世話になっている北九州ひびき野にあるハイブリットラボFILTOMさんにお邪魔したんだけど、そこの方々も同じようなことを言っていて。科学を突き詰めると、やっぱり宇宙に思いを馳せることになり、ていうか、自分の細胞自体がほんとは小宇宙。「パラダイムが変わるのは意識の世界のこと」『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』「この世界に生きていること、そこに何らかの法則が働き、様々な現象があらわれていることを自分なりの方法で感じとり、みずからの生き方や考え方を深めること」『大切なことはすべて腸内細菌から学んできた』この言葉が印象的でした。世界はすべてつながっている。本当はみんながそれを知っている、とわたしも思います。

「私の“居”場所。」〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし〜:後編

写真は前編と同じあまら和さんが描いてくれたわたしの魂の闇と光の絵の完成仕立て版。この絵を描いているときに和さんが受け取っていたリーディング内容はこちら。さて、先日アップした此下友佳子ちゃんによる、
私の今までと光と闇。「私の“居”場所。」〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし〜:後編です。前編はこちら→ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「私の“居”場所。」 〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし~後編第4章:自分にとって『嘘』にならない小説を書くために
デビューを遂げ、2作目の小説まで出した後、次作を、と求める声も出版社からかかった。しかし、発刊まで何千万円ものお金が動く世界。編集者に期待されるものを書かなきゃというプレッシャーに、だんだんと圧し潰されそうになっていったと言う。書いているうちに、売れることを意識し過ぎて自分の書きたい小説ではなくなっていく焦りがあったそうだ。
「売れなきゃ、と思っていましたが、“売れたい”と思ったことがなかったんです。ところが、当時の私はそのことすら忘れていました。ライターは媒体から求められるものを汲み取って書くことが必要ですが、小説は“自分が”書きたいものを書くもの。なのに、わたしは“売れなきゃ”と他人の評価軸で自分の文章のことを考えていた。それは自分に対して嘘をついている状態です。自分が世に出したものに対して、嘘をついたことの罪悪感を背負うのは自分自身だけなのに、どうしていいのかわからない。自分への失望ばかりを感じる日々でした」
悶々としながらも現状にのまれている三谷さんに、デビュー作を出版した会社の編集長、恩師とも言える方が、執筆中の作品を読んで檄を飛ばしてくれたという。デビュー作を書いていた当時も、早く出版をしたいあまりに焦り、小手先で文章を書いた三谷さんに『気持ち悪いから辞めろ!』と伝えてくれた存在から届いたメッセージ。
『あなたはこの程度なんですか。本物の小説家に、なってください』その言葉は忘れられない、と三谷さんは言う。
「逃げてないか? 見ないようにしているものがあるんじゃないか? と見透かされていました。他人のことも自分のことも、過去も全て怖がって受け入れていないから、表現することが出来ないんだ、と。現在のわたしは、文章力、構成力、人のことを見つめる深度や、見つめてどの位置に立って書くのかも、もちろん未熟です。でも、それを磨くことよりも先にやらなきゃいけないのは、私にとって、小説という仮想現実の中でしか確認出来ない『自分』というものの捉え方を変えることのような気がしたんです」救われなかったあのころの自分のために、文章を書く。その執着が、自分のことを本当に「観る」妨げになっているのではないか、と三谷さんは思ったそうだ。
執着を手放し、改めて自分にとって小説はどんな存在なのかを考える時期が来ていた。

第5章:自分の生き方がそのまま小説にリンクする
 そんな時、三谷さんが向き合っていた小説の在り方に影響を与える大きなきっかけがあった。
2012年の秋、福岡最東端の町、上毛町で上毛町役場と福岡R不動産が企画した『上毛町ワーキングステイ』。限界集落に人を呼び込むにはどうすればいいのかを外からの視点で提言しながら、都市部での自分の仕事を持ち込み、町が用意してくれた家で1ヶ月田舎暮らしをするという企画だった。ひょんなことで企画を知り、一緒に活動していたWebマガジン『東京ナイロンガールズ』のメンバーとともに、第1期参加者に選出された。携帯の電波の繋がらない山の山腹にある築100年以上の古民家で暮らしながら、同じ企画の参加者であるデザイナーやプログラマーと町おこしのイベント出演やweb立ち上げ、ブログ発信を行った。東京から持ち込んだ仕事をしつつ、山で収穫した季節の山菜や果物を食べ、地元の猟師の指示を仰ぎながら鶏を捌いて皆で食べる暮らしの体験は『生きている』という感じがした。
「上毛町での暮らしは都会で知らず知らずのうちに感じていた息苦しさやストレスが全くなかったんです。目の前の景色は今日も美しいし、あけっぴろげな晴れた空も、今にもこぼれてきそうな星空も、目の前の美味しい柿や椎茸も、皆で美味しいとご飯を食べて笑い合う小さな日々の幸せが心をあったかくときめかせてくれる。私は、小説を書かないと自分には存在価値がないと心のどこかで思っていたんです。けれど、本当はそうじゃない。ただ気の合う仲間たちと毎日を暮らしていくだけでもいい、私はこの場所にいてもいいんだ、と思えました」
上毛町での暮らしは、我慢して諦めて生きることではなく、人生も仕事も全部、シンプルに湧いてくる楽しさや喜びに従って生きるときめきを体験させてくれたという。
「そこで暮らしてみて初めて気づいたのが、『私の仕事はネット環境さえあればどこでもできる』ということでした。当時でも取引先とのやりとりもほとんどがメール。数年、顔を合わせていない相手もいる。考えてみれば、どこでも仕事ができるのは当然だったのですが、東京にいる間はそれを実感として気づけなかった。けれど、上毛町でそれを実践できて、じゃあ、どこに住んでもいいんじゃないか、って思ったんです」
見失いかけている小説を書くということ、そして、当時、東京で同棲していた彼との見えないこれから。時折は顔を合わせるものの、本当の気持ちをぶつけられない家族への言葉にできない沢山の感情たち。東京に帰ってからは、色んなものへの執着がするすると解けていくように、物理的に一度、それらの状況から距離を置く準備を始めた。それから、三谷さんは友人のSNS投稿で見かけた加計呂麻島での塩工房でのお手伝い募集について思い出した。すぐさま連絡を取り、1ヶ月後にはこの加計呂麻島に居たのだ。

第6章:小説が居場所ではなく、私の一部になった
最初は加計呂麻島の徳浜という集落にある、加計呂麻島自然海塩工房に住み込みのお手伝いとして滞在した。汲んできた海水を薪でじっくりと炊いて人の手で作られるこちらの塩は『さんご塩』という名前で販売されている。変な苦みやトゲのないまろやかさと、ギュッと凝縮された濃く力強い本当の味がする塩だ。この工房がある徳浜は三谷さんの一番のお気に入りの浜だ。ここに来ると異次元に舞い降りたようで、色んなものがすーっと自然に身体から抜けていくのだという。住み込みのお手伝いを経て、やがて人づてに空き家を探し、近くの集落で民家を借りた。新築の家などほとんどない加計呂麻島で借りられる家は、穴が空いていたり雨漏りがすることもよくあるが、丁寧にお気に入りの空間を自分の手で形づくっていった。朝起きた時に何をしたいか考えて、散歩をしたり、ちょっと離れた知り合いのペンションに遊びに行き語り合ったり、家やWi-Fiが使える港のスペースでで東京から依頼された仕事のためPCに向かうこともある。仕事が終わった夕暮れ時、海辺で飲むビールは最高の贅沢だ。
その生活は、何を心地よいと感じ、時間や手間暇をかけて楽しみ、幸せを感じるのか、『自分にとっての本当』と共に生きる日々のように見える。「家の前の夕焼けの海をぼーっと眺めていると、都会に居たときの『売れなきゃ』ってキリキリした焦りや、周囲の雑音が全部、消えていくんです。よく、『人生は辛いものである』とか『不自由から脱却しよう』という所から始まる考えがあるじゃないですか。ネガティブ共感商法とでもいうか。でも、それは、考え方の起点が『辛い』、『不自由』というところからだからいつまでも幸せになれないんですよね。私も、ずっと書くことにしがみついていないと居られなかった。でも、本来、人間は何もしなくても幸せなんです。何もしなくてもきっと本当は皆全て許されている状態と、本当の意味で腑に落ちたのは加計呂麻島で暮らしてからです」
小説は、自分自身の身体を通って出てくる言葉で綴られるもの。物理的な住環境とともに、心理的なこれまでの前提が180度変化した三谷さんにとって、小説というものへの関わり方はどう変わったのだろうか。
「これまでは、『世界は醜いものだけど、時には美しいこともある』ということを自分自身が信じたいがために小説を書いていたんだと思います。でも、『信じたい』って、現在『信じてない』から思うことじゃないですか。今の私は、『世界を美しい』と信じている。だから、これから私は、世界をそのままフラットに見せていきたいんです。極論、書きたいときに書く、書かなくても良い。だって、私が、書いても書かなくても『世界は美しい』んだから」
ふふっと笑うその笑顔には、もう居場所がないと惑い彷徨っていた姿はない。
「曇っていない綺麗な目で物事を見れば、世界は何だって美しいんだ、と、加計呂麻島の風景が教えてくれました」
世界はずっと変わっていなかったが、自分の目を通して見えていなかったもの、見ようとしなかったものが見えて来たような、そんな浄化の連続の末に目の前の三谷さんが居る。もちろん、まだまだ時に雑念やエゴに悩まされることはある。だが、加計呂麻島は自動的にそんなスイッチをオフしてくれる場所だという。3日間の滞在を終え、港から奄美大島へ向かうフェリーに乗りこんだ。静かに、力強くただそこに在る加計呂麻島を眺めてみる。三谷さんと話して、故郷とは、産まれた場所ではなく愛する人や大切なことがある場所であり、自分の中の本当を生きられる場所なのかもしれないと思った。自分の人生において何に時間を使うか、どこに視点を置いてどんな幸せを選択していくのか。
「ネガティブな共感を集めたり、不自由からの脱却を求めたりは、もういらない。ただ、あなたの自由を選択するのみでいい。人生は不思議と本当に色んなものを孕んでいるからね」と加計呂麻島が笑って送り出してくれている気がした。加計呂麻島にいる三谷さんの3作目がどんな作品になるのか、今からとても楽しみだ。

※1.『ぼくは勉強ができない』
山田詠美の著書。以下、紹介文。「ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ――。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪い。この窮屈さはいったい何なんだ! 凛々しくてクールな秀美くんが時には悩みつつ活躍する高校生小説」
Writer:此下友佳子Illustration:あまら和


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このインタビューを受けたのは2015年の4月。今、振り返ると、今までの自分を一度整理をするタイミングで、その時に来てくれた友佳子ちゃんは本当わたしにとっても素晴らしい采配でした。あまら和さんにこの絵を頼んだのはたぶん、この原稿を友佳子ちゃんがあらかた書き終えたタイミング。2015年のわたしは自分の今までを棚卸して、認めて、愛する年だったんだと思う。二人の作品は、去年のわたしにとって、大きな力になりました。この絵のリーディング内容を一部抜粋して、この記事を終わりたいと思います。なぜあなたはその輝きにふたをしたのだろう 私はなにもかも決して忘れたりしない 目を閉じなければ じっと見ていれば それが闇でなく金であるということがわかる
わたしはただ 見たい その真実の輝きを そして すべてのひとに問いたい 本当はあなたは知っているのでしょうと すべてが輝いてばかりだということを

愛とはなにかをわたしに伝えられなかったひとたちを私はゆるそう 彼らはただ わかっていなかっただけなのだから そして私は私の愛をしよう それはまっしぐらに知ってゆくこと。まっしぐらに。

透明な目は地に足をつけて力を得る

青い炎はまっすぐな情熱 いつまでも若いねと笑われても

色が 世界が 多すぎて 収拾がつかないどうしよう

黒い光 闇が光であることを体現する

そしてすべてを照らし尽くしたい欲望という愛。