「本」が「物質」であることを考える。YADOKARI「月極本1 ニューミニマル」について。
昨日に引き続いて、コラムを連載している『未来住まい方会議』を運営するYADOKARIが
作ったもう一冊の本「月極本1 ニューミニマル」について。
こちらは、YADOKARIが作ったモバイルハウスINSPIRATIONのクラウドファンディングを
支援した人には一足先に送られていたYADOKARIの自費出版本です。
詳細はこちら→
http://tsukigime.yadokari.net/
一般発売はそろそろかな? 一足先に読ませていただきました。
こちらはYADOKARIが運営している『未来住まい方会議』の『世界の小さな住まい方』に
取り上げられたタイニーハウスやモバイルハウスの事例を再編集してまとめたもの。
つまり、情報としてはすでにWeb上にあるものがメインです。
だけど、だからこそ、一冊の本にまとめる意味を考えた本だな、と思いました。
Web上だと「この家かわいい、かっこいい」と思ってSNSでシェアして、
というところで終わっちゃいがちなところ、あると思うんです。
それはそれでいいんだけど、「見てる」だけじゃなく「行動する」「参加する」ほうが、
より面白いし、自身として体感できるわけで。
だからこそ、本という形をYADOKARIは今回作ったんじゃないかな、とわたしは思いました。
「世界にはこんな家がある」ということを、
記事単位ではなく本としてまとめて見ることにより、
「自分はどんな家に住みたい?」
「こういう家を使ってこんなことができるかも」
と発想や行動を促すきっかけになるだろうなあ、とわたしは思います。
あと、YADOKARIのふたりはもともとWebデザイナーとプランナーなんです。
『未来住まい方会議』を始めるまでメディア運営もしたことなかったらしい(なのに、すごいわほんと)。
Web出身のふたりだからこそ、紙で出す意味を考えた、
ミニマルハウス、モバイルハウスを取り上げているメディアを運営しているからこそ、
本が手にとれる「物質」である意味を考えたことがすごく伝わってきます。
わたしも含め、紙の出版業界にいた人間は、
「紙で出すことが当たり前」だと感じている部分があると思うんです。
少し前まで電子書籍もWebメディアもここまで攻勢ではなかったので、無理もないのですが、
じゃあ改めて「紙で出す意味」を本当にまっさらな状態から考えるって、
元から紙媒体にいるとなかなか難しかったりします。
元から紙で出すことが当たり前な分、
本が家にあること、人の手に触れるものであること、
本がある意味で「物質」であることを、
最初から考えることがなかなかしにくいんですよね。
ところが、YADOKARIは「情報」としてだったらWebで出せばいいわけで、
だからこそ、わざわざ自費出版をしてまで
「本という物質」で出す意味を考えたんだと思います。
わたしは電子書籍もよく利用するんですが、
電子書籍に向いている本、向いていない本というのは確実にあると思っていて。
実用書など情報を得るものは向いているけど、
空気感や世界観をあらわすものはまだ難しいかな、と思う。
いつかは、できるかもしれないけど。
これは読むデバイスが、自分がいつも触っている「物質」だからなのでは、と思うんです。
本を読んでいるときって、文字だけで自分が感じているものを
呼び起こされていると勘違いしがち。
けれど、人間には五感があるんだから、
実は重さ、表紙やページの手触り、紙の匂いからもいろんなものを感じ取っている。
でも、電子書籍はいつも触っているデバイスで読むから、その本特有の感触が得られない。
だから、世界観や空気感に入っていきにくいのではないかと推測しています。
この『月極本1 ニューミニマル』はざっくりとした質感で、持ったときに軽くて、
80年代に朝日出版社から発行された『週刊本』からインスパイアされたデザイン。
その昔の雑誌っぽさが、いい意味の自費出版、自分たちの好きにやった本として
面白いし、好きです。
いい感じに隙間があって、読んでいる自分たちも入り込めそう、何かやれそうと思える。
「アイムミニマリスト」「ニューミニマル」と銘打っているからこそ、
ものを「持つ」ことの意味を考えたことがわかる仕上がりだと思います。
気に入った家のページを折り曲げて、友達に貸したり、
「こういう家作ってなんかやろうよ!」と話したくなりました。
「大事だと思うことを表す」、「紙であることを考える」ということが
現在、なかなか既存の出版業界ではしにくいところもあるので、
そのふたつを軽やかにやった彼らに何だかうれしくなる。
その感じ、まさにシンプルでミニマムです。
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