「私の“居”場所。」〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし〜:後編

写真は前編と同じあまら和さんが描いてくれたわたしの魂の闇と光の絵の完成仕立て版。

この絵を描いているときに和さんが受け取っていたリーディング内容はこちら

さて、先日アップした此下友佳子ちゃんによる、 私の今までと光と闇。「私の“居”場所。」〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし〜:後編です。

前編はこちら→



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「私の“居”場所。」

〜奄美群島・加計呂麻島に渡って生きる小説家のはなし~

後編


第4章:自分にとって『嘘』にならない小説を書くために


デビューを遂げ、2作目の小説まで出した後、次作を、と求める声も出版社からかかった。しかし、発刊まで何千万円ものお金が動く世界。編集者に期待されるものを書かなきゃというプレッシャーに、だんだんと圧し潰されそうになっていったと言う。書いているうちに、売れることを意識し過ぎて自分の書きたい小説ではなくなっていく焦りがあったそうだ。

「売れなきゃ、と思っていましたが、“売れたい”と思ったことがなかったんです。ところが、当時の私はそのことすら忘れていました。ライターは媒体から求められるものを汲み取って書くことが必要ですが、小説は“自分が”書きたいものを書くもの。なのに、わたしは“売れなきゃ”と他人の評価軸で自分の文章のことを考えていた。それは自分に対して嘘をついている状態です。自分が世に出したものに対して、嘘をついたことの罪悪感を背負うのは自分自身だけなのに、どうしていいのかわからない。自分への失望ばかりを感じる日々でした」

悶々としながらも現状にのまれている三谷さんに、デビュー作を出版した会社の編集長、恩師とも言える方が、執筆中の作品を読んで檄を飛ばしてくれたという。デビュー作を書いていた当時も、早く出版をしたいあまりに焦り、小手先で文章を書いた三谷さんに『気持ち悪いから辞めろ!』と伝えてくれた存在から届いたメッセージ。

『あなたはこの程度なんですか。本物の小説家に、なってください』

その言葉は忘れられない、と三谷さんは言う。

「逃げてないか? 見ないようにしているものがあるんじゃないか? と見透かされていました。他人のことも自分のことも、過去も全て怖がって受け入れていないから、表現することが出来ないんだ、と。現在のわたしは、文章力、構成力、人のことを見つめる深度や、見つめてどの位置に立って書くのかも、もちろん未熟です。でも、それを磨くことよりも先にやらなきゃいけないのは、私にとって、小説という仮想現実の中でしか確認出来ない『自分』というものの捉え方を変えることのような気がしたんです」

救われなかったあのころの自分のために、文章を書く。その執着が、自分のことを本当に「観る」妨げになっているのではないか、と三谷さんは思ったそうだ。

執着を手放し、改めて自分にとって小説はどんな存在なのかを考える時期が来ていた。


第5章:自分の生き方がそのまま小説にリンクする  


そんな時、三谷さんが向き合っていた小説の在り方に影響を与える大きなきっかけがあった。 2012年の秋、福岡最東端の町、上毛町で上毛町役場と福岡R不動産が企画した『上毛町ワーキングステイ』。限界集落に人を呼び込むにはどうすればいいのかを外からの視点で提言しながら、都市部での自分の仕事を持ち込み、町が用意してくれた家で1ヶ月田舎暮らしをするという企画だった。

ひょんなことで企画を知り、一緒に活動していたWebマガジン『東京ナイロンガールズ』のメンバーとともに、第1期参加者に選出された。携帯の電波の繋がらない山の山腹にある築100年以上の古民家で暮らしながら、同じ企画の参加者であるデザイナーやプログラマーと町おこしのイベント出演やweb立ち上げ、ブログ発信を行った。東京から持ち込んだ仕事をしつつ、山で収穫した季節の山菜や果物を食べ、地元の猟師の指示を仰ぎながら鶏を捌いて皆で食べる暮らしの体験は『生きている』という感じがした。

「上毛町での暮らしは都会で知らず知らずのうちに感じていた息苦しさやストレスが全くなかったんです。目の前の景色は今日も美しいし、あけっぴろげな晴れた空も、今にもこぼれてきそうな星空も、目の前の美味しい柿や椎茸も、皆で美味しいとご飯を食べて笑い合う小さな日々の幸せが心をあったかくときめかせてくれる。私は、小説を書かないと自分には存在価値がないと心のどこかで思っていたんです。けれど、本当はそうじゃない。ただ気の合う仲間たちと毎日を暮らしていくだけでもいい、私はこの場所にいてもいいんだ、と思えました」

上毛町での暮らしは、我慢して諦めて生きることではなく、人生も仕事も全部、シンプルに湧いてくる楽しさや喜びに従って生きるときめきを体験させてくれたという。

「そこで暮らしてみて初めて気づいたのが、『私の仕事はネット環境さえあればどこでもできる』ということでした。当時でも取引先とのやりとりもほとんどがメール。数年、顔を合わせていない相手もいる。考えてみれば、どこでも仕事ができるのは当然だったのですが、東京にいる間はそれを実感として気づけなかった。けれど、上毛町でそれを実践できて、じゃあ、どこに住んでもいいんじゃないか、って思ったんです」

見失いかけている小説を書くということ、そして、当時、東京で同棲していた彼との見えないこれから。時折は顔を合わせるものの、本当の気持ちをぶつけられない家族への言葉にできない沢山の感情たち。東京に帰ってからは、色んなものへの執着がするすると解けていくように、物理的に一度、それらの状況から距離を置く準備を始めた。それから、三谷さんは友人のSNS投稿で見かけた加計呂麻島での塩工房でのお手伝い募集について思い出した。すぐさま連絡を取り、1ヶ月後にはこの加計呂麻島に居たのだ。


第6章:小説が居場所ではなく、私の一部になった


最初は加計呂麻島の徳浜という集落にある、加計呂麻島自然海塩工房に住み込みのお手伝いとして滞在した。汲んできた海水を薪でじっくりと炊いて人の手で作られるこちらの塩は『さんご塩』という名前で販売されている。変な苦みやトゲのないまろやかさと、ギュッと凝縮された濃く力強い本当の味がする塩だ。

この工房がある徳浜は三谷さんの一番のお気に入りの浜だ。ここに来ると異次元に舞い降りたようで、色んなものがすーっと自然に身体から抜けていくのだという。

住み込みのお手伝いを経て、やがて人づてに空き家を探し、近くの集落で民家を借りた。新築の家などほとんどない加計呂麻島で借りられる家は、穴が空いていたり雨漏りがすることもよくあるが、丁寧にお気に入りの空間を自分の手で形づくっていった。

朝起きた時に何をしたいか考えて、散歩をしたり、ちょっと離れた知り合いのペンションに遊びに行き語り合ったり、家やWi-Fiが使える港のスペースでで東京から依頼された仕事のためPCに向かうこともある。仕事が終わった夕暮れ時、海辺で飲むビールは最高の贅沢だ。 その生活は、何を心地よいと感じ、時間や手間暇をかけて楽しみ、幸せを感じるのか、『自分にとっての本当』と共に生きる日々のように見える。

「家の前の夕焼けの海をぼーっと眺めていると、都会に居たときの『売れなきゃ』ってキリキリした焦りや、周囲の雑音が全部、消えていくんです。よく、『人生は辛いものである』とか『不自由から脱却しよう』という所から始まる考えがあるじゃないですか。ネガティブ共感商法とでもいうか。でも、それは、考え方の起点が『辛い』、『不自由』というところからだからいつまでも幸せになれないんですよね。私も、ずっと書くことにしがみついていないと居られなかった。でも、本来、人間は何もしなくても幸せなんです。何もしなくてもきっと本当は皆全て許されている状態と、本当の意味で腑に落ちたのは加計呂麻島で暮らしてからです」

小説は、自分自身の身体を通って出てくる言葉で綴られるもの。物理的な住環境とともに、心理的なこれまでの前提が180度変化した三谷さんにとって、小説というものへの関わり方はどう変わったのだろうか。

「これまでは、『世界は醜いものだけど、時には美しいこともある』ということを自分自身が信じたいがために小説を書いていたんだと思います。でも、『信じたい』って、現在『信じてない』から思うことじゃないですか。今の私は、『世界を美しい』と信じている。だから、これから私は、世界をそのままフラットに見せていきたいんです。極論、書きたいときに書く、書かなくても良い。だって、私が、書いても書かなくても『世界は美しい』んだから」

ふふっと笑うその笑顔には、もう居場所がないと惑い彷徨っていた姿はない。

「曇っていない綺麗な目で物事を見れば、世界は何だって美しいんだ、と、加計呂麻島の風景が教えてくれました」

世界はずっと変わっていなかったが、自分の目を通して見えていなかったもの、見ようとしなかったものが見えて来たような、そんな浄化の連続の末に目の前の三谷さんが居る。もちろん、まだまだ時に雑念やエゴに悩まされることはある。だが、加計呂麻島は自動的にそんなスイッチをオフしてくれる場所だという。


3日間の滞在を終え、港から奄美大島へ向かうフェリーに乗りこんだ。静かに、力強くただそこに在る加計呂麻島を眺めてみる。三谷さんと話して、故郷とは、産まれた場所ではなく愛する人や大切なことがある場所であり、自分の中の本当を生きられる場所なのかもしれないと思った。自分の人生において何に時間を使うか、どこに視点を置いてどんな幸せを選択していくのか。

「ネガティブな共感を集めたり、不自由からの脱却を求めたりは、もういらない。ただ、あなたの自由を選択するのみでいい。人生は不思議と本当に色んなものを孕んでいるからね」と加計呂麻島が笑って送り出してくれている気がした。加計呂麻島にいる三谷さんの3作目がどんな作品になるのか、今からとても楽しみだ。


※1.『ぼくは勉強ができない』 山田詠美の著書。以下、紹介文。「ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ――。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪い。この窮屈さはいったい何なんだ! 凛々しくてクールな秀美くんが時には悩みつつ活躍する高校生小説」


Writer:此下友佳子

Illustration:あまら和

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このインタビューを受けたのは2015年の4月。今、振り返ると、今までの自分を一度整理をするタイミングで、その時に来てくれた友佳子ちゃんは本当わたしにとっても素晴らしい采配でした。

あまら和さんにこの絵を頼んだのはたぶん、この原稿を友佳子ちゃんがあらかた書き終えたタイミング。

2015年のわたしは自分の今までを棚卸して、認めて、愛する年だったんだと思う。

二人の作品は、去年のわたしにとって、大きな力になりました。

この絵のリーディング内容を一部抜粋して、この記事を終わりたいと思います。



なぜあなたはその輝きにふたをしたのだろう

私はなにもかも決して忘れたりしない

目を閉じなければ じっと見ていれば

それが闇でなく金であるということがわかる


わたしはただ 見たい その真実の輝きを そして すべてのひとに問いたい

 本当はあなたは知っているのでしょうと すべてが輝いてばかりだということを


愛とはなにかをわたしに伝えられなかったひとたちを私はゆるそう

彼らはただ わかっていなかっただけなのだから


 そして私は私の愛をしよう それはまっしぐらに知ってゆくこと。まっしぐらに。


透明な目は地に足をつけて力を得る

青い炎はまっすぐな情熱

いつまでも若いねと笑われても

色が 世界が 多すぎて 収拾がつかないどうしよう

黒い光 闇が光であることを体現する


そしてすべてを照らし尽くしたい欲望という愛。